日本の大学全部行った男、山内太地です。こんにちは。
「青山学院大学、厚木キャンパスの思い出」という話をしたいと思います。
皆さん、知っていますか。
青山学院大学って、1982年から約20年の間、1、2年生は神奈川県厚木市に通っていたんですよ。
いやぁ、信じられない。
ほんのちょっと前だと1、2年生相模原でしたよね。もう覚えてない人も多いのですが。
要は学生数が多すぎて、文部科学省、当時の文部省の方か、国からですね。
学生数が多すぎるから他のキャンパスも作って、少し学生をそっちへ移しなさいというふうに多くの大学が言われてしまいました。
そのため、法政大学は半分多摩に行ったわけ、
中央大学は全部多摩に行ったわけ、
青山学院大学はどうしたか。
1、2年生を申し訳ないですけどちょっと郊外に入っていただいて、
3、4年生になれば本部の青山キャンパスに通えますよということになった時代があっ
たんですね。
もうずっと昔のことですけど。
これでですね、全国から集まってきた受験生も、もちろん首都圏の人も。
哀れ。青山学院大学に合格すると新宿から小田急に乗って45分ぐらい小田原方面に行った本厚木という駅まで通わなくてはいけなくなりました。
新入生全員です。
ここからが大変なんですね。
駅前に大学あるんですかというとないんですよ、これが。
この厚木キャンパスは、森の里青山というすごい地名のところにあるんですけれども、この本厚木の駅で小田急線を降りてからの、これがすごいんですよ。
駅前のバス停からスクールバスが出ないんですよ。
本厚木の駅というのはとっても狭いんですね。
駅前にバス乗り場が少ないために、青学生たちはどうしたかというと、電車を降りてから10分くらい歩いた本厚木バスターミナルまで行って、長蛇の列をつくり、そこからバスに乗って、登山すること3、40分かかる山の上に青山学院大学の1、2年生は隔離されていました。
当時の青学に僕は見学に行ったんですね。
大きな学食はあるし、ちゃんとチャペルはありますし、サークルの部室もありまして、大学のキャンパスとしてはしっかりしていました。
そこに1、2年生だけ通う。
問題は帰りですよ。
帰りのバスがまためちゃくちゃに混む。なにせ、バスで30分かかるところですから、歩いて駅に戻れません。すごい距離なので。
なお、裏技として本厚木駅の1個先の愛甲石田駅から出ているバスに乗ると、ちょっと空いているし、バスも駅前から出ているし、うまくいくと帰りも座れました。
そして、帰りのバスがまた混むんですね。
夕方6時になると帰りたい学生が、うじゃうじゃ・・・来て、すごい長い列になるのですが、この列が2列あるんですよ。
なんだと思います。
すぐ帰りたい人の列と座って帰りたい人の列に分かれているんですね。
ちゃんと書いてあって。
すぐ帰りたい人の列に並ぶと来たバスにどんどん乗っていくんですけど、30分座れません。ぎゅうぎゅう詰め。
人間テトリスという風に言われているんですけども。
では、座って帰れる方の列に並ぶとどうなるか。
今度は、なかなかバスに乗れないわけですね。
要は、バスが来る。
そしたら、まず座って帰れる列の人が座る席に乗って、次に早く帰りたい人が立ち席でどんどん入って、ぎゅうぎゅう詰めのバスで、はい、さようなら。
次のバスが来る、これを毎日。
青山学院大学の1、2年生はやっていたのです。
当時、自嘲気味にね、厚木山学院大学なんて言われていましたけども。
ただし、3年生になれば本来の本部の青山キャンパスに行ける。
大変気の毒な時代だったのですが、青山学院大学、名門でブランド力も高いし、
みんな受かれば入りたいですから、この苦しい生活を20年ほど続けていたわけです。
当然ながらやっていられないということで相模原に新しい土地を買い、この厚木キャンパスは幻となりました。
日産に売りまして、その日産の自動車の研究所になりました。研究所になってからは私も行ったことはありません。
そして、相模原に1、2年生が通っていたんですが、今はご存知の通り、多くの学部は4年間青山で、相模原には相模原だけで学部がいくつかあるというふうになりました。
ということで、青山学院大学の遠い昔の思い出話しでした。
ありがとうございました。
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